10 豊見城村
旧海軍司令部壕
旧海軍司令部壕は豊見城跡からわずか数百mの位置にある。
司令部壕は、米艦船の艦砲射撃に絶え持久戦を続けるための地下陣地として、昭和19年に海軍設営隊により掘られた防空壕である。
全長450mの壕に4,000名もの兵士が収容されていたらしい。
司令部壕は、昭和20年6月13日の海軍主力部隊の玉砕およびその夜半の大田実少将以下幹部の自決により運用に幕を下ろしたという。
戦後しばらく放置されていたが数回の遺骨収集の後に公開されたとのこと。
ここも当時のままの状態が保たれており、自決の際の手榴弾の破片でできた穴が壁に残るなど生々しい戦跡である。
(2001年4月)
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これが公開されている部分の見取り図。 約300m。 これ以外に厨房などの未公開部分もある。 |
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昇降廊。 |
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信号室。 |
これは幕僚室。 |
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暗号室。 |
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通路の様子。 発電室付近。 |
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下士官兵員室。 収容スペースに対して人員があまりにも多かったので密集して立ったまま寝たと言われている。 |
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司令官室。 ここで大田実海軍少将らが拳銃自決した。 |
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作戦室から幕僚室に降りる狭い通路。 |
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地上に設けられた資料館。 当時の遺品などが残る。 大田実少将が東京の海軍次官に宛てて、沖縄戦における県民の献身的な協力と惨状を訴えた電報が全文掲示されている。電報の最後は「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と結ばれている。 |
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司令部壕の地上は見晴らしがいい高台である。 公園として整備されていて展望台もある。 向うに米大艦隊の沖縄攻撃中の停泊地であった慶良間諸島がよく見える。 地元の家族連れがやって来た。おじぃは戦争の時に慶良間はアメリカの船がびっしりだったと感慨深げに話してたが、まだ意味の分からない幼い孫達は那覇市街の展望に夢中だった。 |
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